くしゅん の ぶろぐ

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つよい の?

どうも。くしゅん です。

たま に、 つよい ね と いわれます。
じぶん が さべつ に はんたいする こと お いった とき など に、 つよい ね と いわれました。
じぶん が さべつ に はんたいする ため に、 なにか お する とき に つよい ね と いわれました。
じぶん が じぶん お かえる よう に いろいろ な こと お している と はなす と つよい ね と いわれました。

いつも つよい ね と いわれる わけ で わ ありません。 たまに つよい ね と いわれます。

でも、 じぶん わ つよい から さべつ に はんたいする こと お やっている と わ おもっていません でした。
むしろ、 どちらか と いえば、よわい から、 どうしようもなく やらなければ しんでしまいそう な くらい よわい から やっている と おもっていました。

でも、 たしか に つよい ところ も ある の かも しれません。 という より、 つよい という いめーじ に あっている こうどう お している と いっていた かも しれません。

なにか に はんたい する という の わ つよい いめーじ が あります。
よわい と いえば、 はんたい できなくて、 ただ つらさ に たえる ひと という いめーじ かも しれません。
よわい と いえば、 じぶん お かえられなくて くるしんでいる ひと という いめーじ かも しれません。
よわい と いえば、 かわらない しずか な いめーじ が ある の かも しれません。

じぶん も そういう いめーじ わ もっています。 けれど、どうじ に すこし ちがう いめーじ お つかって よわい と つよい という ことば お つかう こと も あります。 そして その いめーじ も、 たぶん、 おそらく、 きっと、 なんらか の ところ で いろんな ひと が もっている いめーじ かも しれません。

その よわさ と つよさ の いめーじ と わ、 いま ここ に たえられない ひと と いま ここ に たえられる ひと という いめーじ です。
よわい ひと と わ、 その まま で わ いられない ひと という いめーじ が つよく、
つよい ひと と わ、 そのまま で いられる ひと という いめーじ が つよい、
そんな いめーじ が あります。

だから、 じぶん わ よわい と おもっていた の です。 さべつ した まま で わ たえられない よわさ。 さべつ した まま で わ いきていく こと が できない と おもってしまう よわさ。 ほか の さべつ に も はんたい しなければ みずから が うける さべつ に たいして はんたい できなくなり しんでいく よわさ。みずから が かわらなければ、 なにか よい もの に ならなければ そんざい する かち(価値) が ない と いわれ、 ころされそう に なって も ころされない りゆう お もてない よわさ。そのまま で わ、 ころそれそう に なった とき、 ころす がわ の りゆう お ひてい できない よわさ。
よく なろう と しなければ、 よく あらなければ、 どうしようもない よわさ。
すで に よい と わ おもえない よわさ。
いま の じぶん お よい と わ けっして いえない よわさ。
じぶん が よい と いえなければ、 ころされても しかたがない と いわれた とき に はんろんできない よう な よわさ。

そんな よわさ に さいなまれて、 かえなきゃいけない と おもっている とき、 それ わ つよい と いわれた とき に、 どう かんかえれば いい の だろう か?

そもそも、 そんな かんがえかた お ひてい(否定)したい はず だった のに。
どれだけ よく なくても、 ころさない で、と いいたい が ため に いろいろ やってきた の で わ ない の?
ほか の ひと わ どれだけ よく なくても ころさない しゃかい お めざしていた はず なのに。
じぶん に わ よく ある べき と いってしまう の わ いい の?

このような よわさ の いめーじ が もつ もんだい わ わかっている から その いめーじ わ すててしまいたい けど、 じぶん に ついて しか つかわない から いいじゃない か と おもってしまう ところ も ある し、 そういう ふう に かわりたい と おもう ところ が すき だから いいじゃない と おもう という こんらん が ある。 いや でも だめ じゃない?


でも、 おおきな ちがい お いわない と いけない。 よい わるい という かんがえかた と、 ほか の さべつてき な かんがえかた お わける こと が だいじ なんだ。
よい わるい という の わ ただしい ただしくない で わ ない し、 うつくしい みにくい(醜い) で わ ない し、 とく(得 ) そん(損) で わ ない。ある ない で も ない。そして、 つよい よわい で も ない。

だいたい、 よくなくても ころされる いわれ わ ない。 ぜったい に そんな いわれ わ ない。 でも、 そう おもっていない か の よう に かわろう としている。

かわって、 じぶん で わ ない なにか に なって、 たすけてほしい。 でも たすける ひと なんて いない ので、 じぶん が たすける ひと に なる。 そんな かんがえ お もっている。

でも やっぱり じぶん に しか その かんがえかた お つかわない。 ほか の ひと に わ つかわない し、 つかって わ ならない と おもう し、 つかいたくない。

じぶん だけ が とくべつ。 じぶん だけ わ その かんがえかた お じぶん だけ に つかえる と おもいこんでいる。

べつ に そういう かんがえかた お もっている こと お かなしい と おもっている わけ で わ ない。むしろ そういう じぶん わ すき かもしれない。 ただ こんらん わ している。 どうすれば いい の か わからない。 けれど、 こたえ が ほしい の で も ない。ほか の ひと に とって わ かんたん に かいけつ できる もんだい だったり する の だろう。 じぶん が ほか の ひと の もんだい お もんだい と も おもわない よう に。

でも、おなじ ところ という より も にた(似た) ところ で ぐるぐる まわっている ほか の ひと が いる なら、 ことば が たがい に であう こと も ある かも しれない と おもっている。もちろん、 ぜんぜん ちがう ところ から も ことば わ いきかう こと わ ある けれど。

つよさ と よわさ。
うらやましさ。 うらやましい。 もっと あなた みたい に なって みたい。 じぶん わ じぶん で わ ない。じぶん で ありたくない。 そんな じぶん わ すき。でも それ わ だめ。

まとまり なく、 まとめ も せず、 なんとなく。

この ぶんしょう わ くしゅん が かきました。