くしゅん の ぶろぐ

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「へた な もじ です けど」 と ゆわれたら、 なんて ゆー?

どーも。くしゅん です。
もじ の うまさ や うつくしさ とゆー きはん(規範) に はんたい する ぶんしょー お かきました。
よみなおして ない ので、 よみない ところ とか あったら おしえてください。

「へた な もじ です けど」 と ゆわれて

この まえ、あるひと から てがき の ぶんしょー お もらった。 その とき、 その ひと わ、 「きたない もじ です けど」と いった。また わ 「へた な もじ です けど」 と いった。 どちらか わ わすれてしまった。 けれど、とても きおく に のこる ことば だった。

ここ から しゃせん お ひく。すてき な もじ だった。ここまで しゃせん お ひく。 なに も いわなかった。

もじ が 「きたない」 の か 「へた 」 なのか、 それとも 「うつくしい」のか 「うまい」のか わ じぶん に わ うまく わからない。いや、 すこし わ わかる。 なぜなら、 じぶん も じぶん の かいた もじ が 「きたない」 と おもった こと が ある。 じぶん の かいた もじ が 「へた」 だ と おもった こと が ある。だから、 わかる の だろう。 みとめたくない けれど わかる の だろう。

みとめたくない けど、もじ の うつくしさ お かんがえて しまった。 たしかに、 「とても うつくしくて うまい もじ」 で わ ない と おもった。でも、 「へた」 でも なかった し、 「きたなく」も なかった。そのよー に かんがえた こと お みとめたくなかった から、 「すてきな もじ」 と かいた。

うつくしさ に はんたい したかった から すき きらい の ことば お つかった つもり だった。 しかし、 「すてきな もじ」 とゆー ことば も とても きらい な ことば だ。

なぜ うつくしさ に はんたい したい の か?
なぜ 「すてきな もじ」 とゆー ことば が きらい なのか?
うつくしさ に はんたい しながら もじ の さべつ お なくす に わ どー すれば いい の か?

この さんこ の ぎもん お かんがえてみよー。

なぜ うつくしさ に はんたい したい の か?

うつくしさ わ さべつ に なる から だ。うつくしさ が わるさ に なる こと が おおい から だ。 もちろん、うつくしい から さべつ に ついて わるい の で わ ない。 うつくしい から さべつ に ついてよい の で も ない。

すがた に ついて の さべつ で ある るっきずむ の はなし わ とりあえず おいておこー。

もじ の うつくしさ に ついて かんがえてみたい。

ろうしゃ や なんちょーしゃ の はなし で わ、 きこえる ひとたち の なか に わ ひつだん お ことわる とき に もじ が へた で ある こと お りゆー に する ひと が おおい。
ろうしゃ や なんちょーしゃ に とって わ、 それ わ とても こまる こと に なってしまう。なぜなら、 ちょーしゃ、 つまり きこえる ひと たち むけ に つくられた しゃかい で わ、 しる ひつよー が ある こと が おと で しか わたされない こと が おおい から だ。すると、 きいて しる こと が できない ひとたち に とって わ、 どうすれば いい の か わからない の だ。 たとえる ならば、 えれべーたー が なく かいだん しか ない ところ に いく こと に なった くるまいす お つかう ひと の よー である。
だから、 ろうしゃ や なんちょーしゃ わ ひつだん、 つまり かいて はなし お する こと お おねがいする こと に なる。しかし、 ことわられる こと も すくなくない。きいても わからない とゆー こと が よく わからない ひと も いれば、 めんどーくさい と おもう ひと も いる。 そーゆー さべつてき な じょーきょー に おかれている。

「もじ が へた だから ひつだん したくない」 とゆー りゆー で ことわる ひと の はなし お よく きく。 よく きく の だ。 ひとり や ふたり で わ なく、 たくさん の ひと が じぶん の もじ が へた だ と おもっている の だ。 さらに、 それ で ひつだん お ことわる ひと まで いる れべる である。その ひと たち お せめたい の で わ ない。おおく の ひと が そー おもう よー に なった なんとなく の るーる お せめたい の だ。

こんなに たくさん の ひと が もじ お へた だ と おもって、 それ に えいきょー お うける の わ、 もじ の うつくしさ の きはん が つよい から だ。きはん と わ、 なんとなく の るーる で ある。 なんとなく、 もじ わ うまく うつくしく かけない と いけない きがする、 と たくさん の ひと が おもっている。じっさい に、 うまく かけない と みくだされる。うまく かけない と こーげき される。 うまく かけない と しかられる。 うまく かけない と わらわれる。

そーゆー もじ の うつくしさ の きはん に はんたい だ。 きはん お うけいれている ひと に はんたい している の で わ ない。 きはん に はんたい している の だ。

でも、なんちょーしゃ や ろうしゃ に たいして ひつだん わ してください。できれば、 おねがいします。できなければ、すまほ で かいて みせる とか、 かける ひと お さがす とか なにか おねがいします。

そして、 さらに、 ひどい こと に、 もじ の うつくしさ の きはん わ、 ひだりきき え の さべつ に つかわれる。 しょーがいしゃ え の さべつ に も つかわれる。

うつくしい、 うまい もじ と わ、 みぎきき の もーひつ で かいた もじ と みなされる。 しょどー や こくご とゆー がっこー で の おしえられる もの わ、 みぎきき の ため の かきじゅん だし、 みぎきき の ため の かきかた である。みぎきき の ひと が かいた もじ が みほん として うまい と かんがえられる。

かきかた も、 て で にぎって かいた もの が みほん と みなされる。 くち で かいたり、 ゆび で はさんで かいた もじ が みほん と される こと わ ほとんど ない。

ひだりきき え の さべつ も、 しょーがいしゃ え の さべつ も はんたい だ。

さべつ に ついて よんで ほしい ぶんしょー の しょーかい

さて、てがき の もじ とゆー さべつ と、 ひだりて で もじ お かく ひと え の さべつ の もんだい わ、つぎ の ぶんしょー お よんでください。かんじかなまじり ぶん の ぶんしょー です。
えんぴつは無罪です。: どせいだにのうちがわで
http://morumo.sblo.jp/article/33979040.html
morumo.sblo.jp

(1)左手で字をかくのは大変だ
(2)書道教育(というか日本語教育や国語教育もふくんだ書字教育にかかわる分野全体)は左手で字をかくことについてあんまりちゃんと考えてない
http://morumo.sblo.jp/article/33979040.html

後輩をいじめた土曜日。反省している: どせいだにのうちがわで
http://morumo.sblo.jp/article/38916153.html


書家の条件: どせいだにのうちがわでhttp://morumo.sblo.jp/article/39030737.html

教育の場において

・毛筆が、義務教育で全員必修の項目となってる。
・誰にとっても不合理な筆順を押しつけている
http://morumo.sblo.jp/article/39030737.html


ポリシー: どせいだにのうちがわでhttp://morumo.sblo.jp/article/38970207.html

むしろ、右手利きに徹底的に都合よくなってるこの社会がね、
むしろ、
「なんであなた、そんなに右手利きにこだわるの?」
って、私は言いたいわけなんです。
「なんでそんなに、字は右手ばっかりにつごうがいいの?」
「なんでそんなに、自動改札機は右側にしかキップ投入口がないの?」
「なんでそんなに、右手利きがちょっとも損しないように、がんばってるの?」
「なんでそんなに、右手利きにこだわってるの?」
http://morumo.sblo.jp/article/38970207.html


「金明秀先生@han_orgの「ぼくは字が下手である。」 」によせて。: どせいだにのうちがわでhttp://morumo.sblo.jp/article/63942593.html

また、そもそも「うつくしい字」から排除される人については、「学力と字のうつくしさ・みにくさの関係」についての研究をする際にはこれはべつだてでなにか処理をしたほうがよいかとおもいます。
たとえば病気やけがでペンを手でうまくにぎれない場合とか。手でペンを握らず口や足指でもってでかいている場合とか。それと、左手で書字している場合とか。
http://morumo.sblo.jp/article/63942593.html

それと同時に、てがきの書字はからだをつかいます。字の形を決定するのは、からだという要素があります。人のからだは、多様です。
http://morumo.sblo.jp/article/63942593.html

なぜ 「すてきな もじ」 とゆー ことば が きらい なのか?

しかし、 「(じぶん の)もじ が へた」 や 「(じぶん の )もじ が きたない」 と いわれた とき に、 どーすれば よい の だろー か?

すてき と いった って だめ だ と おもう。

たしかに、きたない か きれい か、 へた か うまい か とゆー かんがえかた から、 「すてき」 とゆー ことば わ すこし づれている。いった ひと の すき きらい が はいっている かんじ が する。

けれど、 だめ なのだ。 「すてき な もじ だ と おもいます」 と いって も、 さべつ に はんたい できていない。 さべつ お よわく していない。 むしろ さべつ お つよく している かもしれない。

なぜなら、 「すてき」 も うつくしい や きれい や うまい とゆー いみ に なってしまう から だ。 「すき」 と いった って、 きいた がわ わ 「うつくしい から すき 」 の しょーりゃく だ と おもう だけ だろー。それほど もじ の うつくしさ の きはん お なんとなく よい と おもってしまっている。 よく ない。うつくしい もじ お かかない と いけない とゆー かんがえかた わ わるい。

さらに、すき きらい の ことば お つかう こと わ さべつ お はんたい する ため に わ だめ な りゆー わ、 ただ あいて に ちがった いみ で つたわってしまう から だけ で わ ない。そもそも、 もじ の すき きらい も きはん に なりうる から さべつ に はんたいする ため に わ つかえない の だ。すこし の あいだ だけ、 あいて の きぶん お よく する ため に わ つかえる かもしれない。 また、 さべつ に はんたい する ため で ない なら つかっても だいじょーぶ かもしれない。しかし、 へた な もじ に きらい と いわれ、うまい もじ に すき と いわれる とゆー じょーきょー が ある の だから、 さべつ に はんたい した こと に ならない。

さらに、 いわれた がわ わ こまる だろー。 すてき な もじ だ と いわれても、 じぶん の もじ が へた である と おもっている ひと の こころ に ひびく と わ かぎらない。 だいたい わ むり だろー。むしろ、 「そーゆー もんだい で わ ない」 と いいたくなる だろー。

だから だめ なのだ。

うつくしさ に はんたい しながら もじ の さべつ お なくす に わ どー すれば いい の か?

でわ、 だまって うけいれる しか ない の か? どのよー に さべつ や きはん に はんたい できる の か?

わからない。

ほんとー に わからない。

たとえば、 じぶん わ るっきずむ に はんたい している。つまり みため の うつくしさ に よる さべつ に はんたい している。 そして、 るっきずむ に とらわれている。 つまり、 じぶん の みため の みにくさ お つらく おもっている。 この つらさ お ひてい されたくない と おもう。 だから、 「きにするな」 とか そーゆー はなし で わ すまない もんだい だ。

だけど、 いままで かいてきた こと お ゆわれても、 「しってる よ」 としか おもえない。それこそ、 「そーゆー もんだい じゃない」 と いいたくなる。

どーすれば よい の だろー?
おもいついたら おしえてください。
せいかい わ へいわ な ぜつめつ。だけど そーゆー もんだい じゃ ない。こまった。

この ぶんしょー わ くしゅん が かきました。
おわり。