くしゅん の ぶろぐ

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ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた に はんたい。

どーも、 くしゅん です。

ぼーりょく の れんさ とゆー かんがかた に はんたい する ぶんしょー お かきました。 ぜひ よんで ください。

(この ぶんしょー お みんな が よめる よー に した あと、2020/12/8 に あたらしく ぶんしょー お かきたしました。 「ちゅーい されなく なる こと」 とゆー だいめい で この ぶんしょー の さいご に かきました。)

ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ あぶない

ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ あぶない と おもう。 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた で はっきり する こと も ある。 しかし、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた で わるい こと お あいまい に してしまう こと も ある。 わるい こと お あいまい に してしまう の わ、 わるい。 だから、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ わるい こと も ある。 けれど、 よい こと も ある。 たとえば、 じぶん に おきている こと お せつめい する ため に つかう とき、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた が うまく いく かも しれない。 そして、 くるしみ お すくなく する かも しれない。 その ばあい わ、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ よい。 つまり、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ よい とき も あれば、 わるい とき も ある。 この こと お あぶない とゆー ことば で あらわした。

ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた の いみ

そもそも、 ぼーりょく の れんさ とゆー の わ どーゆー かんがえかた だろー か?

それ わ、 ぼーりょく お うけた こと が ある もの が、 べつ の もの に ぼーりょく お ふるう こと が ある とゆー かんがえかた だ。 たとえば、 なぐられた こと が ある ひと が、 なぐった の と わ べつ の ひと お なぐった とき、 ぼーりょく の れんさ が おきた と いわれる。 この ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ、 ぎゃくたい に ついて の はなし で よく でてくる と おもう。 こども の とき ぎゃくたい お うけた ひと が、 おや に なった とき に こども お ぎゃくたい した とき に、 ぼーりょく の れんさ が おきた と いわれる の だ。

この ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ、 ぼーりょく お うけた もの わ ほか の もの に ぼーりょく お ふるわない とゆー かんがえかた に はんたい する とき に つかわれる こと が ある。 つまり、 「ぼーりょく お うけた もの わ やさしく なる」 とか、 「ぼーりょく お うけた とき の くるしみ お しっている から、 ほか の もの に ぼーりょく お ふるわない」 とか、そーゆー かんがえかた に はんたい する とき だ。たしかに、 ぼーりょく お うけた もの が みな ぼーりょく お ふるわない と かんがえる の わ まちがっている し、 あぶない し、 わるい こと も ある。 たとえば、 たなか さん が ごとー さん から ぼーりょく お うけた と いった と しよー。 その ごとー さん が むかし に ほか の ひと から ぼーりょく お うけていた と する。 もし、 おおく の ひと が ぼーりょく お うけた もの わ ほか の もの に ぼーりょく お ふるわない と かんがえていたら、 たなか さん わ うそ お ついている と かんがえられてしまう の だ。 この ばあい わ、 ぼーりょく お うけた もの が みな ぼーりょく お ふるわない と かんがえる こと わ わるい。 だから、 ぼーりょく の れんさ が おこる かも しれない と かんがえる こと わ、 よい ばあい も ありえる。

ただし、おなじ よー に ぼーりょく の れんさ とゆー もの が みな に あてはまる と かんがえる の わ まちがっている し、 あぶない し、 わるい こと も ある。 たとえば、ごとー さん が むかし ぼーりょく お うけた こと が ある と いった と しよー。 もし、 おおく の ひと が ぼーりょく の れんさ わ みな に おきる と かんがえていたら、 ごとー さん わ ぼーりょく お ふるう かのーせい が たかい ひと と かんがえられる だろー。 すると、 ごとー さん と かかわる もの が へったり、 ごとー さん に ぼーりょく お ふるっても よい と かんがえたり する もの が でてくる。あいて が ぼーりょく お ふるってきた の だから こちら も しかえし して いい と かんがえる の だ。 その あいて わ ぼーりょく お ふるってきて ない と しても。 この ばあい わ、 ぼーりょく の れんさ わ みな に あてはまる と かんがえる こと わ わるい。 だから、 ぼーりょく の れんさ が みな に かならず おきる と かんがえる こと わ、 わるい。

ぼーりょく お うけやすい もの と うけにくい もの

もちろん、 ぼーりょく お うけやすい もの と うけにくい もの と の かくさ が ある こと お みとめる こと わ だいじ である。

にんげん わ ぼーりょく お うけにくい。 にんげん いがい の どーぶつ わ ぼーりょく お うけやすい。 たとえば、 にんげん わ にく お たべる ため に、 にんげん いがい の どーぶつ お うまれさせて、 とじこめて、 いためつけて、 ころす こと も ある。 にんげん わ ぺっと お ぎゃくたい する こと も ある。 もちろん、 にんげん が にんげん いがい の どーぶつ から ぼーりょく お うける こと も ある。 しかし、 それ わ とくべつ な こと と かんがえられる。 にんげん が にんげん いがい の どーぶつ の にく お たべる の と おなじ くらい の ひんど で、 にんげん いがい の どーぶつ が にんげん お おそう わけ で も ない。 かいぬし が ぺっと お ぎゃくたい する の と おなじ くらい の ひんど で、ぺっと が かいぬし お おそう わけ で も ない。 ここ で わ、 ぼーりょく の うけやすさ わ かたよっていて、 しゅさべつ(種差別) が ある。

おとこ と みなされる もの わ ぼーりょく お うけにくい。 おんな と みなされる もの わ ぼーりょく お うけやすい。 たとえば、 せいぼーりょく の ひがいしゃ に わ おんな と みなされた もの が おおく いる。 よみち お あるく のに、 ぼーりょく お うけやすい の わ おんな の かっこー お した もの だ と おもわれている。ぱーとなー から の ぼーりょく お うけやすい の わ おとこ に くらべて おんな である。 ここ で わ、 ぼーりょく の うけやすさ わ かたよっていて、 せいさべつ(性差別)が ある。

とらんす の ひと わ しす の ひと より ぼーりょく お うけやすい。 しす っぽく ない こと お いじめる いいわけ に つかってくる。とらんす っぽければ、 へんな もの の よー に みられる。 とらんす が りーど していて も、 とらんす だ と しられた とき に わ、 だまされた と いわれる。 おとこ で も おんな で も ない よー な かっこー わ へん な かっこー と かんがえられて、 ぼーりょく お ふるって よい もの と かんがえられる。 おとこ で も おんな で も ある よー な かっこー わ へん な かっこー と かんがえられて、 ぼーりょく お ふるって よい もの と かんがえられる。ぶらんどん・てぃーな とゆー あめりか がっしゅー こく の とらんす だんせい わ、 とらんす である こと お あばかれて ころされた ひとり である。

へてろ で ない ひと わ へてろ の ひと より ぼーりょく お うけやすい。 いせいあいしゃ で ない こと お いじめる いいわけ に つかってくる。 いせいあいしゃ に してやる と いって せいぼーりょく お ふるわれる。 いせいあいしゃ に なる よー に びょーいん おくり に される。 にほん の とーきょー の しんきば(新木場) で せいれき 2000ねん に、 ある ぐるーぷ わ 「ほも がり」 と いいながら、 ある げい だんせい お ころした。

こども わ おとな より ぼーりょく お うけやすい。 ぎゃくたい お うけやすい の わ、 おとな で わ なく、 こども だ。 こども わ おとな に くらべて せいぼーりょく に も あいやすい。しつけ と いいながら、 きょーいく と いいながら ぼーりょく わ こども に ふるわれやすい。

ざいにち こりあん、 にほん と みなされない ちいき に るーつ お もつ もの、 ひさべつぶらく の しゅっしんしゃ、 あいぬ、 りゅーきゅー の ひとびと わ ぼーりょく お うけやすい。せいれき 1994ねん ごろ に わ、 にほん の いろいろ な ところ で、 ちょーせん がっこー に かよう ひと の ふく が きりさかれた。 ちまちょごり きりさき じけん である。にほんと みなされない ちいき に るーつ お もつ こと お いじめる いいわけ に つかってくる。びざ が きれれば、 さいばん も なし に いつまでも とじこめられる。にゅーこくかんりきょく が とじこめる の だ。ひざべつぶらく に たいする さべつ お なくそー と している かいほーどーめい の ひと に はもの が おくられる(https://synodos.jp/society/20420/2)。あいぬ の すんでいた ところ わ 「かいたく」 の なまえ で うばわれた。 おきなわ わ ぐん の きち お おしつけられる。 あめりか がっしゅーこく で ぶっらく らいぶす またー(こくじん の いのち お かるく かんがえる な) とゆー うんどー が せいれき 2020ねん に もりあがった。この うんどー わ、 けいさつかん が こくじん に じゅー お うった じけん が きっかけ で おおきく ひろまった。 ここ で わ、 みんぞく さべつ や じんしゅ さべつ が ある。

そして、 のじゅくしゃ わ ぼーりょく お うけやすい。 せいれき 2020ねん に わ、おおばやし さん とゆー のじゅくしゃ が ぼーりょく お うけて ころされた(https://noratokyo.exblog.jp/28327991/)。 のじゅくしゃ わ しばしば しゅーげき に あう。 なぐられたり、 けられたり、 はやしたてられたり、 しゃしん お とられたり、 どーが お とられたり、 はなび お むけられたり、 おいまわされたり、 いし お なげられたり する。 のじゅくしゃ わ おそわれない よー に おびえながら よる お すごす こと が おおい。

そう、 ぼーりょく お うけやすい もの わ かたよっている。

しかし、 この こと お ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた で あらわせる だろー か? まいのりてぃー が まいのりてぃー に ぼーりょく お ふるう とゆー こと わ よく ある ので、 そーゆー こと お かんがえる とき、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた で すこし わ あらわせる かも しれない。 しかし、 それ いじょー に わるい ところ が ある と おもう。

ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ の わるい ところ

もんだい に されやすい ぼーりょく(ぎゃくたい や しゅーげき) お うけた もの たち に とって、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ かた わ、 「じぶん わ ぼーりょく お ふるう こと に なる かもしれない」 とゆー のろい に なる。 つまり、 ぼーりょく お うけた から、 ぼーりょく に よらない かんけい が つくれない とゆー まちがった おもいこみ お もつ こと に なってしまう。 もちろん、 だれ で も ぼーりょく お ふるう かもしれない ので、 「じぶん わ ぼーりょく お ふるう こと に なる かもしれない」 と かんがえる こと わ だいじ である。 しかし、ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ わ、 「ぼーりょく お うけた もの が うけてない もの より ぼーりょく お ふるい やすい」 とゆー あやまった おもいこみ に なる こと が ある。 そー かんがえる こと で、 じぶん が かち が ひくい もの である と かんがえたり、 だれか と ぼーりょく てき で ない かんけい お むすび たい のに むすべない と かんがえる よー に なったり する かもしれない。 だれ と も つながり たく ない の で あれば はなし わ もちろん べつ である。 (じぶん わ どちらか と いえば だれ と も つながり たく ない。) しかし、 もんだい に されやすい ぼーりょく お うけた もの に、 れっとーかん お あたえる かもしれない とゆー こと わ かんがえておく べき だ。

そして、 もんだい に されやすい ぼーりょく お うけてない が、 もんだい に されにくい ぼーりょく(しつけ、 みすごし) お うけてきた もの たち に とって、ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ かた わ、 「じぶん わ ぼーりょく お ふるわない だろー」 とゆー まちがった おもいこみ お あたえてしまう だろー。そー かんがえた もの たち わ、 じぶん たち の ぼーりょく お むし する。 また わ、 ぼーりょく お しったら じぶん たち で わ ない もの が やった こと と かんがえる。「じぶん が ぼーりょく お ふるう かもしれない」 とゆー ふあん お なくしてしまう。あんしん してしまう。 この あんしん わ あぶない あんしん だ。 そして、 「じぶん わ ぼーりょく お うけた こと が ない から、 じぶん が している の わ ぼーりょく で わ ない」 と かんがえ はじめる。

ぼーりょく お ふるう の わ、 ぼーりょく お うけた もの に かぎった こと で わ ない。たとえば、にくしょく とゆー ぼーりょく に さんかする の わ、 たべられた こと が ある もの たち で わ ない。 たべられた こと の ない もの たち が、 ぼーりょく お うけて ない と おもいやすい もの たち が、 ころし たべている の だ。

ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ が つかえる とき

ぼーりょく お ふるっている もの と たいして かんけい ない もの が、 ぼーりょく の れんさ が おこっている と かんがえて も、 その もの が ぼーりょく お やめる と わ かぎらない。 それどころ か、 まったく ぼーりょく お とめられない と も かんがえられる。 しかし、こども の とき に ぎゃくたい お うけていた ひと が、 おや に なって こども に たいして ふるまう とき に、 ぎゃくたい してしまう とゆー こと お、 ほんにん や その ひと お たすける ひと が ぼーりょく の れんさ と かたる こと わ ある。 その かんがえかた で、 ぼーりょく の れんさ お たちきる こと お めざす とゆー こと が できる。 ぼーりょく お やめる こと が できる よー に なる の なら、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ よい。 おやこ かんけい と いえば ぎゃくたい、 とゆー じょーきょー に おいこまれる こと お ぼーりょく の れんさ と かんがえる こと わ できる だろー。 ぎゃくたい で ない おやこ かんけい、 ぼーりょく で ない ぱーとなー と の かんけい お さぐる ため に、 いままで の かんけい お ぼーりょく だ と かんがえる ため に、 ぼーりょく の れんさ と かんがえる こと に よって、 ぼーりょく お とめる こと が できる かも しれない。 もちろん ほんとー に ぼーりょく お とめれる か わ ばあい に よる。 しかし、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ、 どーやったら その ぼーりょく の れんさ お たちきる こと が できる か お かんがえた とき に つかえる。 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ、 もんだい お むし する ため で わ なく もんだい に とりくむ ため に つかわれれば、 つかえる。

ながく、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた の わるい ところ お かいた。 しかし、 ぎゃく に その わるい ところ が とりのぞかれる ならば、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた お よく つかう こと わ できる だろー。 じぶん わ ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた の わるい ところ が こわい から、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえかた わ つかわない。つかい たい もの わ、 つかえる よー に いろいろ かえて つかう の が よい と おもう。

この ぶんしょー わ くしゅん が かきました。

ちゅーい されなく なる こと

ここ から の ぶんしょー わ 2020/12/8 に かきたしました。だいじ な こと お かきわすれていました。 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ の わるい ところ お ひとつ かいていません でした。 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ に よって、 ちゅーい されなく なる こと が あります。 なぜ ぼーりょく が おこった か とゆー げんいん が ちゅーい されなく なります。 ぼーりょく が おこる げんいん わ かんたん に わかる もの で わ ありません。 ふくざつ で、 こじん てき な りゆー も あれば、 しゃかい てき な りゆー も あります。 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ お する と、ぼーりょく が おこった りゆー お かんがえる こと、 しらべる こと お やめてしまう かのーせい が たかく なります。 ほんとー わ ほか に りゆー が ある のに わからなくなって、 ぼーりょく お ふるった ひと が むかし ぼーりょく お うけた から とゆー りゆー で まんぞく してしまう の です。 もちろん、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ お つかえる とき も あります。 ある ひと が ぼーりょく お ふるった りゆー わ、 その ひと が むかし ぼーりょく お うけた から とゆー の が いちばん の りゆー に なる こと も ある でしょー。 しかし、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ お まえ もって ぼーりょく に ついて しらべる と、 ほか の りゆー わ わかりにくくなります。 りゆー が わかりにくく なる とゆー こと わ、 たいさく が まちがったり、 たいさく が しにくくなったり します。 なので、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ わ あぶない の です。

さらに、 もーひとつ の ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ の わるい ところ わ、 ぼーりょく に わ なにか わかりやすい げんいん が ある はず だ とゆー まちがった ぜんてい が あります。 げんいん が わからない と ふあん に なりやすい です。 だから、 わかりやすい げんいん お あてはまて かんがえる こと が おおく なります。 しかし、 ほんとー に むかし ぼーりょく お うけた こと わ、 ぼーりょく お ふるう こと の げんいん なのでしょうか? ちがう ばあい が ある と おもいます。 どーして むかし ぼーりょく お うけた こと が ある とゆー こと が、 ぼーりょく お ふるう こと の げんいん に なる の か、 ぼーりょく の れんさ とゆー かんがえ で わ せつめい できていません。 ただ、 そーなる だろー とゆー おもいこみ かも しれません。

ぼーりょく に わ なにか わかりやすい げんいん が ある はず だ とゆー まちがった ぜんてい わ、 ぼーりょく わ ふつー おこらない とゆー まちがった ぜんてい と つながっています。 ぼーりょく わ とくべつ な こと であり、 なに か わかりやすい げんいん から うまれる もの だ と かんがえる の です。 その わかりやすい げんいん さえ なければ、 ぼーりょく わ おきない と かんがえる の です。 しかし、 そー かんがえる こと わ、 ふつー に おきている ぼーりょく お ぼーりょく として みとめない こと です。 ふつー に おきている ぼーりょく お わるい こと と かんがえない こと、 ふつー に おきている ぼーりょく に はんたい しない こと に つながります。 いじめ わ ふつー に おこります。 さべつ わ ふつー に おこります。 さべつ わ ふつー とゆー もの の あつまり と さえ いえる かも しれません。 わるい こと が おこる なに か わかりやすい げんいん お かんがえる こと が、 わるい こと に ちゅーい しなくなる きっかけ に なる こと も ある の です。

この ぶんしょー わ くしゅん が かきました。