くしゅん の ぶろぐ

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ふっかつ の るるーしゅ

どーも。 くしゅん です。

ただ ただ、 こーどぎあす ふっかつ の るるーしゅ に ついて つれづれ なる まま に かく だけ なので、 こーどぎあす ふっかつ の るるーしゅ お まだ みてない ひと わ よまない で ください。

るるーしゅ の ぎあす に ついて
しゃむな の さきよみ の ぎあす が ろくじかん さかのぼり の ぎあす に なった。 それ と おなじ よー に、 るるーしゅ の ぎあす も かわっている はず。 すると、 どー かわった の か?
じぶん わ、 じかん てき に なにか が かわった と おもう。
その なにか が わからない ので なんとも いえない。
まず、 るるーしゅ の ぎあす が ほんとー に かわった の か という もんだい が ある。
かわった こと わ、 しゃむな、 くじゃぱっと の ぎあす が はつどう(発動) した とき の えがきかた と くらべる こと で わかる。
くじゃぱっと が はじめて かれん に ぎあす お かける とき、 おそらく、 てれび しりーず の とき の るるーしゅ と おなじ よー に えがかれる。
という の も、 ぎあす が はつどう(発動) した とき、 なにか あおい はいけい(背景) の ところ お
すすんでいき、 かいろ(回路) みたいな ちょくせん、 すいちょく(垂直) に まがる おれせん(折れ線) など の あつまり が かわる、 という よう に えがかれる。
くじゃぱっと の ぎあす わ かいろ が くみかわる いめーじ で ある。
これ わ てれび しりーず の るるーしゅ の ぎあす の はつどう(発動) の とき の えがきかた と おなじ に みえた。
えいが の せかいせん(世界線)(じぶん わ あえて この せかいせん という ことば お つかう。) で どー えがいていた か わ かくにんしていない。

いっぽう、 しゃむな が ぎあす お つかう とき、 おなじ あおい はいけい(背景) の しーん が ある。
しかし、 うごき わ がめん の ほー に もどる かたち に なっている。
それだけ で わ ない。
くじゃぱっと の ぎあす の とき と わ ちがい、 ちょくせん や おれせん で わ なく、 きょくせん(曲線) の たば が えがかれる。

そして、 これ わ ふっかつ の るるーしゅ の ぎあす の はつどう(発動) の とき と おなじ えがきかた だ。

という こと で、 ふっかつ の えがきかた から も、 ふっかつ の るるーしゅ の ぎあす わ しゃむな と おなじ けいとう(系統) に ある と わかる。
もちろん、 さくひん の すとーりー として も しゃむな と るるーしゅ の ぎあす わ おなじ けいとう(系統) で ある と はんだんできる。
つまり、 るるーしゅ も しゃむな も、こーど お ひきついぎ ながら、 ぎあす お つかう こと が できる。
これ わ、 ふっかつ の なか で わ、 C.C. に よって、るるーしゅ が せかい の ことわり お かえた から と せつめい される。 (じぶん わ この あたり の C.C. の はつげん お しんようしていない。 C.C. わ るるーしゅ が かみ お ころした という が、 かみ お ころそう とした の わ しゃるる と まりあんぬ で あって、 るるーしゅ わ かみ お まもった と いえる の で わ ない か? これ わ てれび しりーず で も えいが さんぶさく で も おなじ である。)
ともかく、 しゃむな も るるーしゅ も おなじく 「なりそこない」(C.C. に よる しゃむな え の ことば) で ある。
だから こそ、 るるーしゅ も しゃむな が おなじ けいとう(系統) の ぎあす お つかえる と けつろんづけられる。

でわ、 るるーしゅ の ぎあす の なに が かわった の か?
るるーしゅ が ふっかつ で ぎあす お かけた と わかる の わ 7かい(もっとありそう) ある。
1、 ふっかつ ちょくご。 るるーしゅ・ヴぃ・ぶりたにあ の なまえ で、 てき の へいし さんにん に 「いま、このば で」しぬ よー に めいじる。ちょくせつ るるーしゅ の め が ひかる ところ が えがかれる。また、 あおい はいけい(背景) の しーん も ながれる。
2、すざく の ちりょう の ため に ぎあす お つかっている。 ぎあす お かける ところ わ えがかれない。るるーしゅ に よる せつめい から わかる。
3ろうごく の ひとたち に だっしゅつ の てつだい お させる。 ぎあす お かける ところ わ ちょくせつ わ えがかれない が、 たくさん の ひと お あつめて ぎあす お かける まえ の しーん が えがかれる。 にげだした あと わ、 ぎあす に かかった ひと わ ころされず、 かいほうされた。るるーしゅ に よる せつめい と るるーしゅ が とうじょうする え から わかる。
4かのん たち から ないとめあ など お うけとる ため に、 まわり の じゅうにん に ぎあす お かけた。 ろいど の せつめい から わかる。
5るるーしゅ が くろのきしだん の にもつ とか いいながら へいしたち に ぎあす お かける とき。るるーしゅ の め が ひかる ところ が ちょくせつ えがかれる。
6ななりー (さいたんさいそく)最短最速きゅうしゅつ(救出) さくせん の ため に ぎあす お かける。 ろいど の せつめい から しょうちょう(省庁) に はいる ため に ぎあす お つかった と わかる。「さくさんしゅうりょう まで ぶか に なれ」という ぎあす お かける。
7しゃむな に 「とこしえ に ねむれ」 と ぎあす お かける。 ちょくせつ め が ひかる こと が えがかれる。
1 と 6 と 7 から、すべて じかん の せってい が はいっている こと が わかる。
あにめ しりーず で も じかん の せってい わ できた が、 じかん お きめない こと も できた。
つまり、るるーしゅ が さいしょ に ぎあす お えた とき の めいれい /ねがい わ「しね」 である し、 ヴぃれった に かけた ぎあす わ 「その ないとめあ お よこせ」 であり、 じかん わ はいっていない。
いっぽう で、 「わがぐんもんにくだれ」 が きーわーど に なって とうきょう そかい の じばん こうぞう お いっせい に ぱーじ(パージ) させた ぎあす わ、 じかん が かんけいしている と いえる でしょー。また、 すざく に かけた いきろ の ぎあす や、 しゅないぜる に かけた ぜろ に つかえよ という ぎあす が ふっかつ で も いきていた ところ お みる と、 こうかじかん わ はんえいきゅうてき(半永久的) と みて いい でしょう。
しかし、 るるーしゅ の ぎあす の せりふ として じかん お つけていた きおく わ あまり ありません。
まして、 えいが さんぶさく で わ じかん お ぎあす の めいれい に いれてた きおく わ あまり ありません。
かくにん が ひつよう です が、 じかん が かかわる もの が かわった の で わ ない か と おもいます。
しゃむな の ぎあす も あきらか に じかん が かかわっています。
しかし、 さきよみ の ぎあす の くわしい こと わ わからない ので、 ちゃんと わ くらべられません が。
すくなくとも、 かこ え の さかのぼり の ぎあす わ じかん の に つよく かかわる ぎあす と いえる でしょう。

そう かんがえる と、 こーど という もの が どういう もの だった の か おもいだす ひつよう が あります。
こーど わ ふろうふし(不老不死) の じょうたい の こと。
この こーど こそ、 じかん の ふつう の えいきょう お うけない という いみ で じかん に かかわる もの でしょう。
こーど お もたない ひとたち わ じかん の じげん に あり、ひとつ の Cのせかい、 しゅうごうむいしき から ぺるそな として えだわかれしていく じょうたい です。
だから こそ、 ぎあす わ それぞれ の ひと の いしき に はたらきかける こと が できる の だし、 しゅーごうむいしき の なか で とくべつ の ちい に ある こーど お もつ ひとびと わ ぎあす が きかない わけ です。
こーど お もたない ひとびと わ つね に いま しか いきれません。
かこ わ おもいだされたり、 みらい わ よそうされる に すぎない の です。(それでも、 みらい お もとめる という こと お えらんだ の が るるーしゅ です が)
だから、 るるーしゅ の ぎあす わ じつ わ 「いま」 に しか かからなかった と いえる の で わ ない でしょうか?
こーど お もたない るるーしゅ も、 ぎあす に かかる ひと も みな、 いま しか いきていない から、 とき の じょうけん お ぎあす に いれる ひつよう わ なかった の です。
すざく や しゅないぜる わ つね に 「いま」 ふたたび ぎあす の こうか お えている と いえます。
まいかい、 「いま」 ぎあす の こうか お うける か いな か お かくにんしている という かたち です。

ところが、 いまや るるーしゅ わ こーど お もっています。
だから、 「かりそめのそんざい」 で あり、 じかん に せいやくされません。
だから、 わざわざ じかん お きめて ぎあす お かけない と じかん に しばられていない るるーしゅ の ぎあす わ いつ はたらけば いい の か わからなく なる の です。

これ が しゃむな に ぎあす が きいた りゆう に も なる でしょう。
もちろん、 しゃむな が こーど の なりそこない だから という りゆう で も せつめい できる でしょうが、じぶん わ じかん の かんてん から せつめい します。
つまり、 るるーしゅ が こーど お もつ こと で じかん お あるいみ で ちょうえつ(超越)し、 ぎあす が じかん の じょうけん お しない と はつどう(発動) できない と なる と、ぎゃく に いえば、 いま だけ に ぎあす が しばられなくなる と、 しゃむな が じかん お こえていた としても、 「とこしえ」 という よう に、 げんじつせかい の じかんじく すべて お いっき に にあす こうか はんい に はいってしまう の です。

と なる と、 もしかしたら るるーしゅ の ぎあす わ C.C. に きく かも??

この よー に かんがえる と、 「ことなる せつり、 ことなる じかん」 の いみ も かわっていく かも?


あと、 るるーしゅ ふっかつ ちょくご に さよこ さん の め も つむらせた いみ も たしか に あった かも しれません ね。
てれび しりーず で わ かれん の うたがい お はらすため に すで に さよこ さん に わ ぎあす お かけていた ので、 きかない のに なー と さいしょ おもっていた の です が、じかんしてい が できる よー に なった るるーしゅ の ぎあす わ もはや いっかい しか きかない という せいげん も ない かも。
と かいていて おもった の です けど、えいが の せかいせん わ さよこ さん に ぎあす お つかってない こと お おもいだしました。

さいご に。
まだ さんかい しか ふっかつ わ みてない の です が、いつも きになる の わ こーねりあ の 「わがおとおと わ あきらめがわるい から」 みたい な せりふ。こーねりあ わ この せりふ わ いわない でしょうに。
るるーしゅ お あきらめ の わるさ という めん で あらたに おしていきたい の わ わかります けど、 それ お こーねりあ に いわせる か?
こーねりあ なら 「はったり が うまい」 とか 「けいりゃく が うまい」 とか 「げきじょうがた」 とか いろいろ あった と おもう の です が ね。
こーねりあ と るるーしゅ が にていて、 こーねりあ と ふぉーぐなー が にている と みせたい の も わかります よ。
けど、 もっと ほか に できた の で わ?
ぎるふぉーど に あきらめ の わるさ お ひょーげん させる とか。
さんかい みた おかげ で いろいろ と せいり が できて、 これ わ えいが の せかいせん (世界線) で てれび の せかいせん で ない こと とか、 いろいろ なっとく しました が、
るるーしゅ が かみ お ころした という はつげん と こーねりあ の せりふ わ なっとく いっていません。
それいがい わ すばらしい さくひん だ と おもいます。
ぎゃく に いえば そこ だけ?
おもしろいから また みましょー ね。

おわり。
この ぶんしょー わ くしゅん が かきました。