くしゅん の ぶろぐ

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てんのうせい に はんたい します。

どーも。 くしゅん です。
べつ の ところ で、 てんのうせい に はんたい する ぶんしょー お かきました。
その ぶんしょー お すこし かえて、 ここ に かきます。

てんのうせい わ そもそも みぶんせい で さべつ てき です。
おうぞく とゆー もの わ すべて みぶんせい で さべつ の だいひょーれい です。
さらに、 にほん の てんのう という の わ、 せんそう せきにん お ごまかし つづける せいど です。
せいさべつ、 しょーがいしや に たいする さべつ、じんしゅ さべつ、 しゅさべつ の しょーちょー(象徴) です。 わるい と おもいます。

てんのう や こーぞく の くるしみ より も、 てんのー や こーぞく に よって ころされ 、くるしめ られてきた もの たち の くるしみ お かんがえる べき だ と おもっています。てんのー せい お はいし する べき です。


たしかに、 てんのうけ に うまれる こども が かわいそう なのは、 かわいそう です。
しかし、さらに いえば、 てんのうせい に よる ひがいしゃ が もっと います。 かわいそう と いって、 きにかける べき もの たち が たくさん います。

じゅうぐん いあんふ として せいどれい に されてきた ひと たち、
だいにほん ていこく や にほん の かねもち の ため に、 むりやり また わ おいつめられて はたらかされてきた ひと たち、
てんのうせい お のこす ため に と 「すていし」(捨て石) に された おきなわ の ひと たち、 ひろしま と ながさき の げんばく の ひがいしゃ(もちろん せきにん の おおく わ てんのう だけ に ある の で わ ありません。 あめりか ぐん の せきにん が おおきい です。)
しらべもせず に てんのう の はか とした、 こふん より うえ に ある こと わ、 ふけい だ と いわれて いじゅう させられた ぶらく の ひと たち(洞村(ほらむら))
てんのう の ぐんたい に よって ころされてきた もの たち (と 、がし させられたり、 みすてられたり した へいし たち(いんぱーる さくせん))
なんきん や かいなんとう、 ふぃりぴん お ひっとー に、 れいぷ され、 ころされた もの たち
しそう はん として ごうもん お うけた もの たち、 ころされた もの たち(たいぎゃく じけん、 とっこー に よる こばやし たきじ の さつがい)
てんのう の ぎしき の ため に ころされる かめ たち(だいじょうさい(大嘗祭))
さいがい に とりあえず てんのう お はけん する だけ で、 けっきょく ふっこう わ あとまわし に されてきた もの たち、

このよー な ちょくせつ てき な ひがい だけ で わ ありません。
てんのうせい わ けっこん など お ごしっぷ として わだい に する こと で、かぞく(家族) や ひと が どー ある べき か とゆー かんがえ お ひろげてきました。その かんがえ わ さべつ てき でした。

おんな わ いえ お つげない。 なぜなら てんのう わ おとこ だから。
にほん の やまと いがい わ にりゅー(二流) で よい。 あいぬ、 りゅうきゅう、 たいわん、 ちょうせん、ちゅうごく、 ぶらじる、 ねばーる などなど に るーつ お もつ もの わ にほんじん と みなされない。なぜなら、 てんのう が にほん の やまと みんぞく だから。
てんのう いがい の かみ お しんじる もの も、 かみ お しんじない もの も てんのう お あがめない と いけない。 なぜなら てんのう が かみ だから。(ちょうせん はんとう で くらす ひとびと え の じんじゃ さんぱい きょうせい(強制)、きりすときょー や ぶっきょー、しんこう しゅーきょー など の しゅーきょー お しんじていた ひと え の だんあつ など)
せいべつ わ おんな で ない おとこ か、 おとこ で ない おんな で、 うまれた とき に はんだん された せいべつ で いきなければ いけない。 なぜなら、 てんのう いっか わ おとこ か おんな だから。(ふざけるな。)
せいしょく が できる いせいあいしゃ で わ ない と いけない。 なぜなら てんのう の こども の にほん の ち お まもる ため。 (じぶん が まつだいだ。)
けっこん し こども つくれ。 なぜなら かぞく が くに の いしずえ だから。 (ほろべ。あらたに うまれさせる こと わ わるい。)
ちょうかく しょうがいしゃ わ じぶん の ことば だけ で はなす な。 にほんご に あわせて きいた こと の ない こえ お だし、 しゅわ お べつ の げんご で ある にほんご に あわせて だせ。 なぜなら てんのー の かぞく が きている から。(てんのう いっか わ、 こえ で にほんご お ださない と いけない 「しゅわ」 こんてすと の 「しゅひん」 である。)
しきもう わ しょうわ てんのう、ひろひと の けっこん あいて に わ ふさわしくない と いわれる 。(宮中某重大事件
せしゅう の こんきょ として の てんのうせい 。

(あと けんぽう で こくせい に かかわる きのう が ない のに、 「おことば」で ほーりつ お かえさせる など けんぽう いはん お くりかえしている。)

しょくみんち しゅっしんしゃ から にほんこくせき お とりあげた のも てんのう ひろひと でした し、 ちょーせん せんそう お つかって てんのうせい お つづけよう と まっかーさー に れんらく していた の も てんのう、 ひろひと でした ね。だいにほんていこく で わ、 せいじ と ぐんじ の とっぷ でした けど、せんそう せきにん お ぶんがく の もんだい、 ことば の あや として きりすてた の も ひろひと でした。

へいせい てんのう、 あきひと わ、 そんな ひろひと お、 へいわ お あいした ひと だ と いいました。 そして、 てんのう とゆー ちい お、 ひろひと から うけつぎました。 しかし、 あきひと わ、 てんのう の ぐんたい が ころした ひと たち に あやまる こと わ けっして ありません でした。 ただ、 てんのう の ぐんたい として しんだ ひと たち に むかって いのっていた だけ でした。 そして、 あきひと わ てんのう が できる こと お どんどん ふやしていきました。 つい に わ、くに の きのう お もたない と された てんのう の よびかけ に よって、 ほーりつ お かえる とゆー こと まで しました。

そして、 れいわ てんのう、 なるひと わ、 そんな あきひと から てんのう の ちい お うけつぎました。 もちろん、なるひと わ、せんそう に ついて あやまる こと も しなければ、 せんそう に ついて あやまらなかった ぜんにんしゃ、 あきひと に はんたい する こと も していません。なるひと わ、 できる だけ かげ お ひそめて、 にほん の せいじ お うごかしている かねもち と きょーりょく して、 かぞく で てんのうせい お つづけ よー と いろいろ しています。

たとえば、おとうと、 ふみひと に だいがわり の ぎしき お、 ないていひ(内廷費) で やる べき と はつげん させました。 けっきょく こーひ(公費) で やりました。 こーひ も ないていひ も どちら も ぜいきん です。
みんな が しんじている わけ で わ ない ぎしき に、 ぜいきん お たくさん つかう こと わ、 わるい こと です。 その しゅーきょー お しんじてない もの が いきにくくなります。

しかし、 この よー に、 てんのうけ の なか で の たいりつ お みせつける こと で、 てんのーせい に も いい ところ が ある と みせかける の です。 そして、 てんのーせい お つづける こと お めざして、 さまざま な わるい こと お している の です。

てんのーせい わ わるい です。

てんのーせい お なくしましょう。

おわり。
この ぶんしょー わ くしゅん が かきました。