くしゅん の ぶろぐ

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これ わ じぶん の ため の はなし で わ ない〜やがて君になる

どーも、くしゅん です。

仲谷鳰(なかたににお)『やがて君になる』(やがてきみになる) の ななかん お よみました。

これ わ じぶん の ため の はなし で わ ない こと お つきつけられた きがします。

これ から ねたばれ なので、 まだ よんでない ひと わ よまない で ください。




これ わ じぶん の ため の
ものがたり で ない と かんじた の わ、たぶん ろくかん ぐらい から でしょう か。
なんせ、 ろくかん わ いっかい しか よんでいません。ほか わ なんかい よんだ か わからない ほど よんだ のに。

やがてきみになる わ すごい すき だった きおく が あります。 さいしょ の こいと(小糸) の せりふ に わ しびれました。しょーじょまんが も うた も わたし の もの に わ なってくれなかった みたい な せりふ。 この そがい(疎外)。 つきつけてくる なかまはずれ。 どうしようもない たどりつかなさ。

じぶん わ、 その れんあい で きらきら する かんじょう お じぶん の もの に したい と おもわない し、 れんあい の さくひん わ とても すき で、 れんあい わ みる もの だ っていう かんじ が すごい します。
じぶん わ、 れんあい わ 「たべる」 もの なのです。 「する」 こと で わ ありません。

まあ、 ともかく、 あの なかまはずれ の きぶん お えがかれて わ ひかれず に わ いられない と おもった の です。
しかし、 ものがたり の つねなる ところ でしょう か。 しゅじんこう の さいしょ の じょうたい わ 「のりこえられる たいしょう」 「へんか する もの」 に なってしまう の です。
もちろん、 そこまで ろこつ に ならない よう に まき(槙) が でてくる わけ です。
だから こそ、 さいしょ わ たえれる の です。 というより たのしめる の です。 れんあい お しない、 できない じぶん たち の そんざい が けされない ながら も、 れんあい お たべて たのしむ こと が できる と いう こと に。

さて、もう さくしゃ わ こいと(小糸) お れんあい する がわ に もっていこう と する みたい です。
さすが に、 れんあい って すばらしい! っという ながれ で わ ありません。 そこ わ ほっとしています。 ひょうか も します。 なんだか どうしようもない かんじょう が、 どうしようもない この かんじ が する と。 すばらしい か わからない けど と。

さて、 じぶん が とても つらい と おもった こと わ こいと(小糸) の えがきかた だけ で わ ありません。 というか、 こいと(小糸) の えがきかた だけ だったら、 たん に また じぶん むけ で わ なかった と おもえば いい だけ です。 たん に じぶん の ため の もの で ない のに、 じぶん の ため の もの で ある と おもいこんだ だけ です。じぶん も、 ものがたり の ひと に かんじょういにゅう と やら が できる かも と あわい きたい お もった だけ です。 いろんな ひと が やっている らしい かんじょういにゅう お。

つらかった の わ、 まき(槙) と こいと(小糸) の からみ です。
まず、 まるで まき(槙) が おとこ と おんな が いれ ば くっつけたがる よう な そこらへん に いる ひと に よめてしまう かきかた が つらかった。 まさに だんじょ にげんろん と へてろせくしずむ の だいりにん みたい な ひと に わ かいて ほしくない。えがきかた も そこまで わ かいてない ので、 あくまで かのうせい の もんだい です けど。

つぎ に、 そして ここ が いちばん つらい の が、 まき(槙) が こいと(小糸) お つきはなす しーん。
まき(槙) わ こいと(小糸) に にげている だけ とか いう の です けど、そして、 こいと(小糸) に とって わ それ わ とても ありがたい こと だった と わ おもう の です よ。

でも、 でも、 これ って れんあい お する まじょりてぃ に つごう が よい じょげん お する まいのりてぃ という こうず に なっていません か?

ちがう かも しれない。 けれど、ここ お よんでいて すごい しょっく お うけた の わ たしか なのです。

なぜ でしょう?

もうひとつ かんがえられる りゆう が あります。 まき(槙) の れんあい から にげている だけ という せりふ。 これ わ とても つらい。 だって、 これ って じぶんたち に よく なげかけられる さべつてき で よくあつてき な ことば じゃない です か。
すぽーつ と おなじ よう に せんしゅ が かんきゃく に なったり、 かんきゃく が せんしゅ に なる って こと ある じゃない です か。
こいと(小糸) が せんしゅ に なった から といって、 せんしゅ から おりる かのうせい わ じゅうぶん に ある じゃない です か。
にげて も いいじゃない。
なんで にげて わ いけない みたい に かたる の か。
もちろん、 まき(槙) の じぶん と おなじ に しない で くれ という の わ せつじつ な ねがい で、 よくぞ いってくれた と なる わけ です。
なぜ か と いえば、あろまんてぃっく わ 「どうせ れんあい かんけい に なれない から、 ならなかった から だろう」 とか いわれたり する わけ です から ね。 ひどい よ ね。
だけど、 ほか の ひと に も れんあい から にげた なんて いう しかく が ない よう に、 あろまんてぃっく に も そんな こと お いう しかく わ ない の だ と おもう の よ。

こいと(小糸) に とって、 まき(槙) わ あるしゅ の いきかた の みほん に なった かも しれない そんざい じゃない です か。
みほん が ない と、 せんたくし が ない と いきる の って たいへん だ と おもう の です。
こいと(小糸) の まわり の みほん わ どれも これも れんあい お ぜんてい としていた。 そんな なか で まき(槙) の いきかた わ ろーるもでる に なった かも しれない の です よ。 でも、 まき(槙) わ まき(槙) の ほう から せん おひいて こっち と そっち で わ ちがう と いってしまった。 という より いわせてしまった。まるで そっち と こっち わ うつりかわれない か の よう に。 ほんしつ みたい に してしまった。

こっち がわ わ、まるで いない か の よう に かたられる から、 そういう せんびき お しない と いけない という こと わ わかる。 ものがたり の つごう の うえ で も そうしない と いけない の わ わかる。 それ に、 そうしなければ もっと つらかったし、 もっと おこっていた。
せんびき わ ここ で わ とっても だいじ だ。


けど、 まじょりてぃ に まいのりてぃ が じょげんする みたい な ぶんみゃく で 、 まいのりてぃ から せんびき させる の って、 しかも せんびき する こと が まじょりてぃ の えんぱわめんと に なる って なんか おかしくない です か?

というか、 こいと(小糸) わ まじょりてぃ で わ ない という こと も かんがえあわせる と とても つらく なってきます。
つまり、 こいと(小糸) が まいのりてぃ から まじょりてぃ に なる ため に、 まき(槙) という まいのりてぃ に せんびき お させない と いけない と いう かたち に。
まいのりてぃ に、 まいのりてぃ お まじょりてぃ に させる という こと お させている わけ です よ。

えーー。 じっさい わ まじょりてぃ が まじょりてぃ に とりこんでいく という の が ほとんど だ と いう の に ね。
そこ に なんらか の よい いみ お よみこむ こと わ もちろん かのう だし、 だれか に やって ほしい けど、 いま わ ただ、 この ものがたり わ じぶん の ため の はなし で わ なかった という こと お、 ただ その こと お かなしんで、 かなしんで いたい。

おわり。