くしゅん の ぶろぐ

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1OC8L4MVP36BG?ref_=wl_share

かんじ かな まじり で ない かきかた が ひつよー です。

どーも、くしゅん です。

かきかた の さべつ に ついて かきました。
かいていて まじょりてぃ めせん お かんじる ぶんしょー かもしれない と おもいました。 でも、 どこ に まじょりてぃ めせん が ある か お はっきり わかっていません。 ここ が まじょりてぃ めせん っぽい よ、 と おしえてくれたら うれしい です。

  • きっかけ わ なんですか?
  • いま の にほんご の かきかた わ どーなっている の です か?
  • かんじ とゆー もじ で こまる ひと わ いる の です か?
    • かんじ とゆー もじ わ どーゆー せいど(制度) ですか?
  • でわ どーしたら いい の です か?
    • でわ、なぜ ひらがな のみ で わかちがき お する の です か?
      • よみやすい こと と よめる こと の ちがい わ どーなってます か?
      • せっとく と、 きおく に のこりやすい ほーほー の ちがい わ どーなっています か?
      • ばりあふりー の いちぶ に なる こと と、 ばりあ お つくっている ひと に ばりあ に ついて かんがえて もらう こと の ちがい わ どーなっています か?
  • くしゅん の ひらがな わかちがき わ どのよー に かいています か?
  • よんでいる かたがた に ていあん わ あります か?
続きを読む

くるしみ の れんさ お たちきる ため に うまれさせよー と しない こと。

どーも。 くしゅん です。
うまれさせる こと に はんたい する ぶんしょー です。 はんしゅっせいしゅぎ(反出生主義) に ついて かきました。 てきとー に かいた ので、 おおめ に みて ください。わかりにくい ところ わ おしえてくだされば、 かきかえる かもしれません。
まだ きまってません が、 しぬ まで に わ かいておきたかって ので かきました。

続きを読む

「へた な もじ です けど」 と ゆわれたら、 なんて ゆー?

どーも。くしゅん です。
もじ の うまさ や うつくしさ とゆー きはん(規範) に はんたい する ぶんしょー お かきました。
よみなおして ない ので、 よみない ところ とか あったら おしえてください。

  • 「へた な もじ です けど」 と ゆわれて
  • なぜ うつくしさ に はんたい したい の か?
    • さべつ に ついて よんで ほしい ぶんしょー の しょーかい
  • なぜ 「すてきな もじ」 とゆー ことば が きらい なのか?
  • うつくしさ に はんたい しながら もじ の さべつ お なくす に わ どー すれば いい の か?
続きを読む

わらってー

どーも。 くしゅん です。

ただ ねれない よる お すごす ため の ぶんしょう です。 いい こと なんて かいていない と おもいます。

わらってー と いわれ つづけてきました。
どんなに たのしくなくても わらえ と。
まえ まで、 そういわれても そういう もの かな と おもって わらってきました。
たとえば しゃしん お とられる とき。 わらった しゃしん しか のこされません。 もし わらっていなければ とりなおし です。 わらう まで なんかい も なんかい も とりつづけられます。 つかれても。 つらくても。 わらってー と いわれます。 わらわない ため に わ わらう しか ない の です。

ほか に も、 つかれていたら わらい な と いわれます。
ふきげん で いる こと わ ゆるされません。
あいそ が ない と いわれ、 にんげんかんけい に もんだい が ある と いわれます。
しんぱいしてる から わらって と いわれます。
なんで わらってない の か きかれた こと わ ある でしょうか?

じぶん わ ひと と はなす とき に わざと わらう こと が あります。
いつでも わざと で ある わけ で わ ない です けど。ふたり とか さんにん で はなす ひと と の かいわ で わざ と わらう こと わ きおく に あまり ない です。
ともかく、 たとえば、 しゅうだん で はなす とき わ わざ と わらう こと が おおい です。
たとえば、 はなしている ひと が わらって ほしい と おもっている と じぶん が おもった とき。 おもしろい と おもわなくても わらってしまいます。 いや、 どうなのでしょうか? もしかしたら おもしろい と おもって わらっている けど、 まわり わ だれ ひとり として わらわない ので、 じぶん も おもしろくない と わ おもっていた の だ と おもいこみたい だけ かも しれません。
しっぱい した こと が あります。 この せかい に わ すべり わらい という もの が ある よう です。
つまり、 だれも わらわない こと が おもしろい という こと です。
じぶん わ すべり わらい お おこす もの で すべらず わらってしまいます。
これ わ ほんとう に おもしろい と おもった から だった よう な きがします。
でも、 すべり わらい わ、 つっこみ が あって より おもしろくなる ので、 「だれもわらってない よ 」 という つっこみ が じぶん が わらった あと に でてきます。
なんてこと でしょう。
むしされました。
よく ある こと です。


いっぽう で じぶん が わらえない こと という もの が あります。 たとえば さべつ お ぜんてい に した もの。
いかり が わく こと さえ あっても わらえません。
しかし まわり わ わらいます。
わらい と わ おそろしい もの で、 おおく の ひと が わらっている と、 みんな が わらっている みたお に かんじます。
じっさい に わ わらってない ひと が いて も きがつけません。
こどく に かんじてしまう。 そんな わらい。

いろんな こと お かきました けど、 わらい に ついて わ よい きおく が あまり ない よう です。
もちろん、 たくさん の たのしい きおく も あります。 でも、 たのしい きおく わ かかなくても いいかな と おもいます し、 こうやって まとめて かく こと も できません。

わらわず に いきていければ それ で いい だけ なのに。

この ぶんしょう わ くしゅん が かきました。

つよい の?

どうも。くしゅん です。

たま に、 つよい ね と いわれます。
じぶん が さべつ に はんたいする こと お いった とき など に、 つよい ね と いわれました。
じぶん が さべつ に はんたいする ため に、 なにか お する とき に つよい ね と いわれました。
じぶん が じぶん お かえる よう に いろいろ な こと お している と はなす と つよい ね と いわれました。

いつも つよい ね と いわれる わけ で わ ありません。 たまに つよい ね と いわれます。

でも、 じぶん わ つよい から さべつ に はんたいする こと お やっている と わ おもっていません でした。
むしろ、 どちらか と いえば、よわい から、 どうしようもなく やらなければ しんでしまいそう な くらい よわい から やっている と おもっていました。

でも、 たしか に つよい ところ も ある の かも しれません。 という より、 つよい という いめーじ に あっている こうどう お している と いっていた かも しれません。

なにか に はんたい する という の わ つよい いめーじ が あります。
よわい と いえば、 はんたい できなくて、 ただ つらさ に たえる ひと という いめーじ かも しれません。
よわい と いえば、 じぶん お かえられなくて くるしんでいる ひと という いめーじ かも しれません。
よわい と いえば、 かわらない しずか な いめーじ が ある の かも しれません。

じぶん も そういう いめーじ わ もっています。 けれど、どうじ に すこし ちがう いめーじ お つかって よわい と つよい という ことば お つかう こと も あります。 そして その いめーじ も、 たぶん、 おそらく、 きっと、 なんらか の ところ で いろんな ひと が もっている いめーじ かも しれません。

その よわさ と つよさ の いめーじ と わ、 いま ここ に たえられない ひと と いま ここ に たえられる ひと という いめーじ です。
よわい ひと と わ、 その まま で わ いられない ひと という いめーじ が つよく、
つよい ひと と わ、 そのまま で いられる ひと という いめーじ が つよい、
そんな いめーじ が あります。

だから、 じぶん わ よわい と おもっていた の です。 さべつ した まま で わ たえられない よわさ。 さべつ した まま で わ いきていく こと が できない と おもってしまう よわさ。 ほか の さべつ に も はんたい しなければ みずから が うける さべつ に たいして はんたい できなくなり しんでいく よわさ。みずから が かわらなければ、 なにか よい もの に ならなければ そんざい する かち(価値) が ない と いわれ、 ころされそう に なって も ころされない りゆう お もてない よわさ。そのまま で わ、 ころそれそう に なった とき、 ころす がわ の りゆう お ひてい できない よわさ。
よく なろう と しなければ、 よく あらなければ、 どうしようもない よわさ。
すで に よい と わ おもえない よわさ。
いま の じぶん お よい と わ けっして いえない よわさ。
じぶん が よい と いえなければ、 ころされても しかたがない と いわれた とき に はんろんできない よう な よわさ。

そんな よわさ に さいなまれて、 かえなきゃいけない と おもっている とき、 それ わ つよい と いわれた とき に、 どう かんかえれば いい の だろう か?

そもそも、 そんな かんがえかた お ひてい(否定)したい はず だった のに。
どれだけ よく なくても、 ころさない で、と いいたい が ため に いろいろ やってきた の で わ ない の?
ほか の ひと わ どれだけ よく なくても ころさない しゃかい お めざしていた はず なのに。
じぶん に わ よく ある べき と いってしまう の わ いい の?

このような よわさ の いめーじ が もつ もんだい わ わかっている から その いめーじ わ すててしまいたい けど、 じぶん に ついて しか つかわない から いいじゃない か と おもってしまう ところ も ある し、 そういう ふう に かわりたい と おもう ところ が すき だから いいじゃない と おもう という こんらん が ある。 いや でも だめ じゃない?


でも、 おおきな ちがい お いわない と いけない。 よい わるい という かんがえかた と、 ほか の さべつてき な かんがえかた お わける こと が だいじ なんだ。
よい わるい という の わ ただしい ただしくない で わ ない し、 うつくしい みにくい(醜い) で わ ない し、 とく(得 ) そん(損) で わ ない。ある ない で も ない。そして、 つよい よわい で も ない。

だいたい、 よくなくても ころされる いわれ わ ない。 ぜったい に そんな いわれ わ ない。 でも、 そう おもっていない か の よう に かわろう としている。

かわって、 じぶん で わ ない なにか に なって、 たすけてほしい。 でも たすける ひと なんて いない ので、 じぶん が たすける ひと に なる。 そんな かんがえ お もっている。

でも やっぱり じぶん に しか その かんがえかた お つかわない。 ほか の ひと に わ つかわない し、 つかって わ ならない と おもう し、 つかいたくない。

じぶん だけ が とくべつ。 じぶん だけ わ その かんがえかた お じぶん だけ に つかえる と おもいこんでいる。

べつ に そういう かんがえかた お もっている こと お かなしい と おもっている わけ で わ ない。むしろ そういう じぶん わ すき かもしれない。 ただ こんらん わ している。 どうすれば いい の か わからない。 けれど、 こたえ が ほしい の で も ない。ほか の ひと に とって わ かんたん に かいけつ できる もんだい だったり する の だろう。 じぶん が ほか の ひと の もんだい お もんだい と も おもわない よう に。

でも、おなじ ところ という より も にた(似た) ところ で ぐるぐる まわっている ほか の ひと が いる なら、 ことば が たがい に であう こと も ある かも しれない と おもっている。もちろん、 ぜんぜん ちがう ところ から も ことば わ いきかう こと わ ある けれど。

つよさ と よわさ。
うらやましさ。 うらやましい。 もっと あなた みたい に なって みたい。 じぶん わ じぶん で わ ない。じぶん で ありたくない。 そんな じぶん わ すき。でも それ わ だめ。

まとまり なく、 まとめ も せず、 なんとなく。

この ぶんしょう わ くしゅん が かきました。